成り立っているなら

成り立っているならそれでいいんだ

成り立っているならそれで
批判があろうと
成り立っていることは
そのままあることで




最近なんでも簡単に単純な仕組みで動いていると
思う

前の私は
仕組みや成り立ちを考えてたけど
それはただ疲れるだけだった

向上とか改善はまず置いておいて

単純な思考で
生きてみる。

うわさや他人の言葉より

自分の実感を唯一確信する

他人の意見に自分の思考は影響されるけど
何かに対する評価は自分の感覚でしか納得できないし
納得はそうやってする。

問題がおきたらその時に考える

とりあえず今私は存在している。
その事実が重すぎて辛い。

未来よりも過去に 関わったものの精算に追われる。

そしてまた未来も過去の精算の繰り返し。


今かんじたり思っていることを文にすると断定しているようで それは違うのだけど
私という言葉も使いたくない

なんかそう感じてる

ってこと

過去をつくるための活動

生まれてきた意味なんて全くなくて

望まれてとか
必要だから生まれてきたなんてこともない。

ただどこかの誰かが子どもを作って
産んでしまった

その過去の事象ために存在している

感情とか抜きで

そういうこと。

嫌になったら消えることができればどんなに楽だろう。
自分の意思で存在したくてしたわけじゃないのに
存在すると
責任を求められる

そうしないと存在できない
仕組みだから仕方ない

存在するというだけで
自己に関しては全肯定するしかない

いくら全否定したくても
存在するだけで

どこまでも見られ続ける。

どの紙も 同じただの紙

どのネット上の一つのページも同じ1ページだけど

そこに記されてる内容によって

重要度が変化する

その指標がブクマってこと。